以前、命の使い方というエントリで、

”死と本気で向き合ったことのある人は、人生に対する姿勢が変わる”という旨のことを書きました。
どう生きるかを考えるために、死を感じることは人生において重要だということです。
今日は、”死”から人生を考えせてくれる非常によいメッセージをもらえる動画があったため、そのことについて書きたいと思います。
ソースは、TEDでのマシュー・オライリー氏のプレゼンです。
6分くらいですので、お時間ある方は是非見てみて下さい。
今日は、”死”から人生を考えせてくれる非常によいメッセージをもらえる動画があったため、そのことについて書きたいと思います。
ソースは、TEDでのマシュー・オライリー氏のプレゼンです。
6分くらいですので、お時間ある方は是非見てみて下さい。
https://www.ted.com/talks/matthew_o_reilly_am_i_dying_the_honest_answer?language=ja
救急救命士として働く中で、多くの死にゆく人と向き合ってきた彼は、人が死ぬ間際にとる行動は大きく3つに集約されることを見つけました。
1: 許しを請う
「子ども達や孫達ともっとたくさんの時間を過ごしてあげるべきだった」
これはプレゼンの中で出てきたエピソードですが、他にも自分が原因で人を傷つけてしまったり、人との関係で後悔の気持ちのある人は少なくないと思います。
そのような心に引っかかっているものがあれば、最期の瞬間に思いとして出てくるのでしょう。
2: 自分を覚えていて欲しい
自分が死んでしまっても、愛する人、家族、友人等の記憶の中に自分の記憶が残っていて欲しいという気持ちが溢れるパターンです。
実際にマシュー氏も「私を覚えていてくれる?」と何度も言われたのだそうです。
3: 自分の人生が意味があったものだと知りたい
自分の人生には意味があったのか、無駄なことしかしなかったのではない、ということを思いたいというのが最後のパターンです。
こういう気持ちが最期に溢れてくるということは日頃それを感じれていないということなのかもしれません。
意味のあることに命を使えているかということももちろんですが、自分が生きていることの意味を感じさせてくれる人が周りにいるかどうかも大事だろうと感じました。
涙がこみ上げてきそうになるのを感じながら、このプレゼンから3つの教訓を得ました。
・心が後ろめたいことをしない
・大切な人を本当に大切にする
・意味があると思えることをやる
死という見地からどう生きるかをこれまでとは別の視点で考えさせてくれたこのプレゼンにも感謝です。
願わくば自分が死ぬ時には1〜3のような感情を抱かず、心が満足した状態で最期を迎えたいものです。
救急救命士として働く中で、多くの死にゆく人と向き合ってきた彼は、人が死ぬ間際にとる行動は大きく3つに集約されることを見つけました。
1: 許しを請う
「子ども達や孫達ともっとたくさんの時間を過ごしてあげるべきだった」
これはプレゼンの中で出てきたエピソードですが、他にも自分が原因で人を傷つけてしまったり、人との関係で後悔の気持ちのある人は少なくないと思います。
そのような心に引っかかっているものがあれば、最期の瞬間に思いとして出てくるのでしょう。
2: 自分を覚えていて欲しい
自分が死んでしまっても、愛する人、家族、友人等の記憶の中に自分の記憶が残っていて欲しいという気持ちが溢れるパターンです。
実際にマシュー氏も「私を覚えていてくれる?」と何度も言われたのだそうです。
3: 自分の人生が意味があったものだと知りたい
自分の人生には意味があったのか、無駄なことしかしなかったのではない、ということを思いたいというのが最後のパターンです。
こういう気持ちが最期に溢れてくるということは日頃それを感じれていないということなのかもしれません。
意味のあることに命を使えているかということももちろんですが、自分が生きていることの意味を感じさせてくれる人が周りにいるかどうかも大事だろうと感じました。
「僕はもういい人生だったと思ってますよ、すでに。今、死んだとしてもね」
これはスラムダンクの著者 井上雄彦さんの言葉です。
自分が日々全力で生き、この世に生きた証を残せたと思えた人だからこそ出てくる言葉でしょう。
涙がこみ上げてきそうになるのを感じながら、このプレゼンから3つの教訓を得ました。
・心が後ろめたいことをしない
・大切な人を本当に大切にする
・意味があると思えることをやる
死という見地からどう生きるかをこれまでとは別の視点で考えさせてくれたこのプレゼンにも感謝です。
願わくば自分が死ぬ時には1〜3のような感情を抱かず、心が満足した状態で最期を迎えたいものです。
そのためにも毎日、真摯にど真剣に生きていきたいと思いました。

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