グレゴリー・ベイトソンは、アメリカの人類学者、社会科学者、言語学者、映像人類学者、サイバネティシストと様々な学問を横断的に研究していた偉人です。
「ダイブルバインド」の概念を生み出したことで有名ですね。
今回は、ベイトソンが提唱した「学習の階級論」についてまとめてみます。

ベイトソンは、学習をシステム的に捉え、レベル分けをし理論としてまとめました。
level_learning
結構ざっくりしたまとめですし、これだけでは良く分からないと思います。
そこで各レベルの解説に、サッカーのフリーキックの練習を事例を当てはめて考えてみます。
比喩が適切か分かりませんが(汗)

学習0

これは刺激に対して反応している状態です。
この時、反応が正しくても間違っていても修正できない、何も学習していないのがこのレベルです。
ボールを蹴るが、どこにボールが飛ぼうと蹴り方を全く修正しないイメージ。

学習I

正しい反応(選択)を選択肢の中から選ぶことができます。
適当に蹴るのではなく、きちんとゴールに向かって蹴ることができるようになる。
 ゴールの外に蹴るという間違った選択ではなく、ゴールに入れる正解を選択できるイメージ。

学習Ⅱ



学習Iのプロセスが変化します。
パターンや構造に気づき、選択肢群そのものが修正されたり、経験の連続体を区切ったり、その区切り方に変化が生じます。
ゴールに向かって蹴るだけではキーパーに取られてしまうので、キックの強さやコースという新たな選択肢を設定します。
「ゴールに向かって蹴る」というものを分解し、どのコースに蹴るのが良いのか、どのくらいの強さで蹴るのがよいのか等、選択肢が細かく修正されます。
また、「キーパーに取られる場合と取られない場合の違い」や「どのように蹴ればどのようにボールが飛ぶのか」といったパターンを認識するようになります。

学習Ⅲ

学習IIのプロセスが変化します。
代替可能な選択肢群がなすシステムそのものが修正されるような変化を起こします。
このレベルになると、フリーキックの練習というシステムそのものが修正されます。
例えば、強いキックがゴールに結びついていると気づきます。
キックの練習だけをし続けていては効果や効率に限界があると感じ、新たに筋トレというキック以外の練習メニューを取り入れるようになります。
目的を達成するために練習というシステムそのものを変更が変更される、これが学習Ⅲのレベルです。

学習Ⅳ

学習Ⅲのプロセスが変化します。
しかし、地球上の生き物がこのレベルの変化に行きつくことはないと思われる。との記載が。
これは正直よく分かりません。人間を超越した学びがあるとうことでしょうか。


Ⅳはちょっと置いておいて、まずは学習Ⅲを目指すのが良いかと思いますが、
学習IIからⅢへの移行はなかなかできないケースも多いようです。
過去の成功体験にしがみつきやり方を変更できないという話はよく聞きますが、正にそれです。
過去のやり方・システムを抜本的に変更できてこそレベルⅢの領域の学びになります。 
この問題について考えていたら、リンカーンのこの言葉が頭をよぎりました。
 
『もし8時間、木を切る時間を与えられたら、そのうち6時間を私は斧を研ぐのに使うだろう』

これが学習IIとⅢの差のように感じました。
学習II:一生懸命に木に向かって斧を振り続け、少しずつ改善している状態
学習Ⅲ:やり方(システム)そのものを抜本的に見直すことで、より効率的に目標に近づく 


人は何かを学ぶ中で、「学ぶことについての学び(Learn how to learn)」が同時に起こっています。
例えばサッカーの例で言うと「軸足を置く場所で弾道が変わる」ということに気づけば、
フリーキック以外のキックの際にもその学びが応用されます。
このように様々な学びのパターンをメタに認識することで、より高次な学びのレベルへと昇華していく。
これがざっくりですが僕が感じた「学習の階級論」のイメージです。
学び上手な人は、学びのパターンへの気づきや、それを他に応用するのが早いのかもしれない、とこの理論を眺めながら感じました。