プロジェクトメソッド(The project method)の歴史についてまとめられた論文をレビューします。
PBLにも繋がる重要な概念なのでじっくり読ませていただきました。

論文はこちら(被引用数:942件 (2024年2月21日時点))
Knoll, M. (1997). The project method: Its vocational education origin and international development. Journal of Industrial Teacher Education, 34(3), 59-80.

これまで、プロジェクトメソッドについては、断片的な理解しかできていないかったのですが、歴史に沿ってモデルの変遷を知ることができ、とても学びの多い論文でした。
建築や工学の分野で用いられた構築(construction)を主軸としたモデルから始まり、その後、教育心理学を組み込みんだより広い概念へと拡張させた新しいモデル展開まで、プロジェクトメソッドの歴史的変遷を概観することができました。
PBLでは「STEAM」分野での実施例が特に多いのですが、この歴史を見ることでその理由がよく理解できました。
以下、印象的だった点を4つ記載します。

①プロジェクトメソッドの2つの基本モデル
プロジェクトメソッドには以下の2つの基本モデルがあります。
古いモデル(Woodwardなど):生徒はまず、指導の過程で技術や知識を学び、各教育単元と学年の終わりに総合演習として、実践的なプロジェクトを行う(指導(instruction)から 構築(construction)) 
最近のモデル(Richardsなど):プロジェクトは単元の終わりではなく、教育の中心。指導課程がプロジェクトに先行するのではなく、プロジェクトに統合される。
※DeweyやRichardsは、プロジェクトワークを教育過程の最終目標にすべきではないと考えました。
→関心や洞察が育まれるためには、「全体(natural wholes)」が学習の対象でなければならないという新しい心理学の基本的な考え方から、プロジェクトは単元の終わりから教育の中心に移されるべきという考え
PBLにおいても、どちらのパターンも展開されていますね。

②「完全な創造行為(complete act of creation)」
イリノイ工業大学教授のRobinsonは、「完全な創造行為」のためには、製図板で「プロジェクト」の下書きをするだけでなく、工房で実際に組み立てまで行うことの重要性を指摘しており、これには共感するものがありました。
例えば、学校教育では、自分たちのアイデアをプレゼンするところで終了したり、企業研修においても、営業のアイデアや自組織の改善案を発表する部分でまで終了したりと、そのアイデアが実行されることなく終了するというパターンが多く、もったいないなと感じることが多くありました。
それをもう一歩先の実践フェーズまでを学習に組み込むことで、「完全な創造行為」を学習者が経験できる。この点は、学習をよりRichにするために必要なポイントなんだろうなと思いました。
ちなみに、7つの習慣で「すべてのものは2度つくられる」という言葉がありますが、それにも通ずるものがあると思いました。初回の創造(思考)のその先の2回目の創造(物的な創造行為)までを経験できる学習機会の創出までを目指したいですね。

③Kilpatrickの「The Project Method」に対する批判
Deweyの弟子であるKilpatrickが1918年に提唱した「The Project Method」は以前まとめたところですが、師匠のDeweyから批判を受けて、自身の発言の非をを認めていた歴史があったとは知りませんでした。
Kilpatrickは、プロジェクトメソッドの重要な特徴として生徒のやる気・目的を挙げています。
「目的が消滅し、教師が開始されたものの完成を求めるのであれば、プロジェクトは作業となる」
「生徒が行動の自由を行使してこそ、自主性、判断力、行動力を身につけることができ、それが民主主義の維持とさらなる発展に不可欠である」と。
そして「プロジェクトには4つの段階があり、理想的には4つの段階がすべて、教師ではなく生徒によって開始され、完了されること」と生徒中心の重要性について述べました。
しかし、ここでDeweyを含む様々な人々から批判を受けることとなります。
Deweyは、あまりに複雑なプロジェクトに取り組むと、子どもたちはただ混乱し、ぐちゃぐちゃになり、単なる粗雑な結果(これは些細な問題である)ではなく、粗雑な基準(これは重要な問題である)を身につけてしまう危険性が大きいと警鐘を鳴らし、「プロジェクト」は「子どもの事業」ではなく、教師と生徒の「共通の事業」であり、生徒に指導と指示を与える教師の役割を強調しました。
そして、それらの批判を受けたKilpatrickは、1918年に自分が考えた「心のこもった目的のある行為」を伝統的なプロジェクト手法と結びつけるべきではなかったと認め、この用語は挑発的で曖昧なものとして使うのをやめた」のだそうです。

Deweyの指摘はごもっともな気がします。生徒に合ったプロジェクトの難易度設定や、足場がけなど、適切なサポートやファシリテーションができなければ、不要な失敗を生徒に付与してしまうので、自己肯定感や自己効力感の低下、そして学習意欲なども起こりかねないと思います。
目的ややる気は大事ですが、それが失われないような授業全体の設計と運営が必要なのでしょう。
しかし、Kilpatrickの掲げる理想像を捨ててしまうのはもったいないようにも思います。学習者中心モデルの理想的状況として掲げておき、必ずこういうモデルにすべきという「強制」ではなく「選択」できる形として残しておくのもひとつの手ではないかと個人的には思います。

DeweyやKilpatrickのプロジェクトメソッドの新定義の世界的な広がり
DeweyやKilpatrickは、伝統的なプロジェクトメソッドの考え方を拡張させ新たな定義に置き換えました。
不思議なことに、この新定義はアメリカ国内では支持を得ることができませんでしたが、他の国々では、革新的かつ真に民主的な成果として受け入れられ、ヨーロッパでは今日、広範な「アメリカ的」概念が優勢である一方、アメリカでは狭範な「ヨーロッパ的」アプローチが主導的な役割を果たしているという逆説的な結果となっているそうです。この点は非常に面白いなと思いました。



【メモ】
プロジェクトメソッドの歴史(5つの段階)
①1590-1765:ヨーロッパの建築学校でプロジェクト・ワークが始まる
②1765-1880:正規の教授法としてのプロジェクトと、アメリカへの移行
③1880-1915:手工業訓練(Manual Training)と一般公立学校でのプロジェクト活動
④1915-1965:プロジェクトメソッドの再定義とアメリカからヨーロッパへの移行
⑤1965-今日:プロジェクトの考え方の再発見と国際普及の第三波

(アメリカの歴史家)
1908年に農業専門家Rufus W. Stimsonが提唱した「home project plan」を最初のプロジェクト教育者であり、Kilpatrickの先駆者とみなしている(Bleeke, 1968; Kliebard, 1986)
(ドイツの歴史家)
プロジェクトの起源を、1900年に大学教授Charles R. Richards と John Deweyが提唱した手工芸プログラムにまでさかのぼる(Magnor, 1976; Krauth, 1985)
(最近の研究)
制度化された教育方法としての「プロジェクト」は、19世紀末にアメリカで起こった産業教育運動や進歩的教育運動の産物ではなく、16世紀後半にイタリアで始まった建築・工学教育運動から発展したものである(Knoll 1991a, 1991b, 1991c; Schöller, 1993; Weiss, 1982)

「プロジェクトは、標準的な教授法のひとつで、一般に、生徒が(a)自立心と責任感を養い、(b)社会的・民主的な行動様式を実践するための手段と考えられている」
「この方法は、William Heard Kilpatrickが「The Project Method」の中で初めて詳細に説明し、明確に定義したもので、世界的に知られるようになった(Church & Sedlak, 1976; Cremin, 1961; Kilpatrick, 1918; Röhrs, 1977)
「職業教育や産業教育だけでなく、アメリカの他の教育分野でも、構成主義的な概念、探究型学習、問題解決、デザインなどが論じられると、必ず「プロジェクト」が最良かつ最も適切な教授法のひとつとされる」

(プロジェクトメソッドの課題)
「プロジェクトと他の教授法との間の概念的な区別が不明確なままである点」

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