肯定的な捉え方をされることの多い「大正新教育運動」について、批判的な新たな視点で考察した論文をレビューします。

論文はこちら(被引用数:2件 (2024年3月7日時点))
小針誠. (2015). 大正新教育運動のパラドックス 通説の再検討を通じて. 子ども社会研究, 21, 19-32.

プロジェクト・メソッドを調べていたら、「大正新教育」に辿り着いたので、考察を深めたいと思い手に取りました。
著者は、「教えない教育」と「国家主義との関わり」という2つの視点から、「大正新教育」について新たな見方を投げかけています。

まず、大正新教育のポイントについてまとめます。
【大正新教育運動】
・子どもの個性、自発性、興味・関心・意欲など、「子ども」を中心・主体に据えた児童(子ども)中心主義の教育である
・子どもの自由や個性をみとめ子どもの主体的な学習を主たる関心に据えた「教えない教育」(山本, 2006)という新教育は、明治以来の近代学校における教授・訓練(旧教育)と異なっていた
・大正新教育の実践は、主に師範学校附属学校や都市部の市立学校などで行われた
・それらの実践は、国家という上から展開された教育ではなく、いずれも個人や教育団体(学校や各種団体)で展開された
・大正新教育運動の代表的研究書は、「大正自由教育の研究」(中野, 1968)である
「主として大正期において、それまでの『臣民教育』は、画一主義的な注入教授、権力的なとりしまり主義であるのに対して、子どもの自発性・個性を尊重しようとした自由主義的な教育改造を大正自由教育=新教育運動とも呼ばれている」(10貢)
・1930年代に入り、国家権力による干渉と弾圧あるいは癒着によって、大正新教育運動は終焉を迎える

この大正新教育に対して、まず「教えない教育」という観点から切り込んでいます。
【教えない教育】
・大正新教育における教育活動は「教える教育」ではなく「教えない教育」として、児童が生活経験を通して自発的に「学ぶ」このとのできる教育の実現を目指した
・教える教育の限界(山本, 2006)
①内発的動機の喪失:「なぜ学ぶのか」に関する内発的動機の喪失
②他者による学びの一元的管理:「何を学ぶのか」を他者の管理に委ねられる
③学びの自己疎外:「何のために学ぶのか」が自分のためではなく、国家・社会を尺度に図られる

筆者は、上記の3点について、それぞれ独自の角度から批判的な考察をされていていて興味深かったです。
①「なぜ学ぶのか」
「教えない教育」は、そもそも学習に対する高い動機づけを必要としないエリート校に限定されていたのではないか。全国に普及しなかったのは、新教育は高い出身階層とそれを背景にした学習に対する高い動機付けを要求するものであったからだと言えるのではないか。
→この意見には共感する部分がありました。例えば、アクティブラーニングの実践は、学習者のALの経験や学習に対する動機付けにより大きく変わってくるからです。一方、PBLは成績の悪い子ほど高い学習効果があるという研究結果もあります。学習に対するモチベーションのない子ども達に対して、PBLは学習への興味関心を喚起する要素を有しているということです。したがって、大正新教育はエリート層を対象に実践されていた傾向があるようですが、新教育自体は広く全国民に対して効果があるものだったと思うのです。ただし、そのためには、学習者に合わせた適切な設計ができるかどうかは鍵となったでしょう。

②「何を学ぶのか」
結局は、教師の計画や意図の中でのことであり、無制限に自由が与えられたわけではない。子ども達が完全に「自由な主体」としての学習者になることは著しく困難である。
→これはその通りだと思いますが、いきなり子どもに完全な自由を与えてもうまくいかないのがほとんどだと思います。Deweyも「あまりに複雑なプロジェクトに取り組むと子ども達はただただ混乱し、粗雑な基準を身につけてしまう危険性が大きい」と警鐘を鳴らしています。なので、徐々に子どもに与える自由を拡大していくのが良いのではないか、そしてその一プロセスとしては十分機能していたのではないかと個人的には思います。

③俗悪な大人や社会から隔離された「学校」という理性的な擬似社会における社会体験や生活体験こそが、逆に子ども達から現実の社会や実社会に対するリアリティを喪失することになってしまったのではないか
→これも言わんとすることはわかりますが、②と同じで、プロセスの中間に位置するものとして効果はあったのではないかと思います。いきなり実社会という厳しい現実に放り出すと、大怪我をしてしまったり、取り返しのつかない失敗をしてしまうこともあるでしょう。かといって、そのような体験が一切なく、知識や情報だけを頭に詰め込み「卒業後はみんな頑張れ!」と大海原に放り出すのでは、結局社会に出てから大きなリアリティショックに直面する可能性が高くなります。安心安全なところから徐々に経験を重ね、少しずつ社会の一員になっていくプロセスが重要で、大正新教育はその役割を担っていたのではないかと思います。正に、正統的周辺参加ですね。


続いて、国家主義との関わりについて。
【国家主義との関わり】
・合科教育:従来の画一的な教育方法や教科目分断的な内容は忌避され、教師中心の教育や訓練から脱し、子ども中心の「学習」であることが求められた
・教育審議会の委員たちは合科教育の導入を危険視し、批判的な見解を述べることも少なくなかった(「ラジカリスト」も居るため、国民教育以外の自由主義は行わせないようにしないといけない等)
・合科教育から、敵国・米英両国の思想とされた自由主義や個人主義を取り除くことによって、皇国民教育体制下の「綜合教育」「綜合教授」として国民学校初等科のカリキュラムとして導入されることになった
・文部省は、教育においても天皇制国家主義が重要で、子ども中心の自由主義的考え方は、反国家・反体制という「行き過ぎた思想」になるのではないかと危険視していた
・しかし、大正新教育推進派も元より天皇制や国家主義には同意しており、この点では対立することはなく、結果として都合よく戦時体制の教育にも取り込まれて、軍国主義の下僕と化してしまった

文部省に危惧される面もありながら、大正新教育が表面的に統合されていくという歴史が興味深かったです。
(完全に2つに分けるのは好きではありませんが)保守とリベラルのバランスをとる難しさ。
新たな教育概念を国家レベルで取り入れ、展開していくことの難しさを感じました。


教師と子どもが一体となり展開された日本初の民間教育運動である大正新教育運動。
大正時代に既に、子ども中心、自由主義という考え方があり、実践もされていたことに驚きました。
知れば知るほど、現在の「総合学習」や「探究学習」、「PBL」と繋がるものがあります。
大正新教育は、昭和の軍国主義によって終焉を迎えてしまいましたが、「総合学習」「探究学習」はどうなっていくのでしょうか。

「新教育であれ、旧教育であれ、教育という営為がどのような子どもを育て、どのような帰結をもたらすのかといった反省的な議論が新教育論者にも、教育審議会の委員たちにも、ほとんどみられなかった」

これが、大正新教育の反省点だとするならば、「総合学習」「探究学習」といった新たな教育が各学校に普及・浸透し、高い教育効果を子ども達に与えていくためには、十分な「対話」が国家レベルでも、個々の学校レベルでも必要なんだと思いました。


【メモ】
「教える教育(旧教育)の限界」(山本, 2006)
①内発的動機の喪失:「なぜ学ぶのか」に関する内発的動機の喪失
②他者による学びの一元的管理:「何を学ぶのか」を他者の管理に委ねられる
③学びの自己疎外:「何のために学ぶのか」が自分のためではなく、国家・社会を尺度に図られる

「ドルトン・プランでは、子ども自らが学習計画を立てて自己学習に励む様子は、子ども自身の高い学習動機・意欲を前提に、それに従って子ども自身が学習内容を選択し、自発的に学習し、リフレクション(省察)しなければならない一連のプロセスが想定されている」