社会正義と学業達成の両方を実現するために教師と生徒双方の視点から生徒のエンゲージメントについて考察した論文をレビューします。

論文はこちら(被引用数:145件 (2025年3月18日時点))
Zyngier, D. (2007). Listening to teachers–listening to students: Substantive conversations about resistance, empowerment and engagement. Teachers and Teaching: theory and practice, 13(4), 327-347.

従来の生徒のエンゲージメントの概念を再評価し、教師と生徒の視点からエンゲージメントに関する対話を探求することを目的とした当論文。
特に、社会正義と学業達成の両方を実現するために、「抵抗(resistance)」と「エンパワーメント(empowerment)」の視点から生徒のエンゲージメントを再構築することに焦点を当てています。

本研究は、過去の研究(Zyngier, 2004b)を拡張し、以下の問いを中心に進められています。
・生徒エンゲージメントとは何か?
・教師と生徒の視点はどのように異なり、どのように交差するか?
・社会正義(social justice)と学業達成(academic achievement)の両立を可能にする教育実践とは何か?

研究は、Haberman (1991) の「貧困の教育学(Pedagogy of Poverty)」および bell hooks (2003) の「希望の教育学(Teaching Community: A Pedagogy of Hope)」に基づき、エンゲージメントが単なる服従ではなく、抵抗(resistance)と変革(transformation)を伴うプロセスであるという視点を採用しています。

研究方法
・対象者:オーストラリアの公立高校(Beachside Secondary College)の教師と生徒
・データ収集
 ・教師のインタビュー(個別・小グループ)
 ・生徒のインタビュー(フォーカスグループ)
 ・授業観察
 ・教育プログラム「Keymakersプロジェクト」の評価
・分析方法:質的データ分析(N*Vivoを使用)
 ・教師と生徒の「抵抗」「エンパワーメント」「エンゲージメント」に関する発言を抽出・分類

生徒エンゲージメントの3つの視点
Zyngier(2004b)の先行研究で特定された 以下の3つのエンゲージメントの概念を、教師と生徒の対話を通じて分析しています。
(1) 道具主義・合理的技術主義(Instrumentalist or rational technical)
(2) 社会構成主義・個人主義(Social Constructivist or individualist)
(3) 批判的・変革的エンゲージメント(Critical Transformative Engagement)

それぞれまとめます。

(1) 道具主義・合理的技術主義(Instrumentalist or rational technical)
・エンゲージメント=外的な測定可能な指標(例:出席率、成績、課題提出率) として捉えられる
・教師は、生徒が「指示されたタスクを完了すること」に焦点を置く
・教育の目的は、統制と学業達成であり、生徒の主体性や批判的思考は重視されない
・教師の視点
 ・「学習に集中させるには、ある程度のルールが必要だ」
 ・「成績が上がれば、それがエンゲージメントの証拠になる」
・生徒の視点
 ・「ルールに従えば問題ない。でも、それが面白いわけではない」
 ・「点数を上げるために勉強するだけで、本当に学んでいる気はしない」
・課題
 ・生徒が「やらされている」と感じることで、深い学びや主体的な思考が生まれにくい
 ・表面的なエンゲージメントが生まれるが、学びの動機は外発的であるため、持続しにくい

(2) 社会構成主義・個人主義(Social Constructivist or individualist)
・エンゲージメントは、生徒の興味・経験・自己決定によって形成されるものであるとする立場
・アクティブラーニング、協働学習、探究学習 などの手法を採用
・教師は、学習のファシリテーターとしての役割を果たす
・教師の視点
 ・「生徒が自分で学ぶことが重要だ」
 ・「自由にテーマを選ばせることで、エンゲージメントは高まる」
・生徒の視点
 ・「好きなことをやれると楽しい。でも、それが本当に学びになっているのかは分からない」
 ・「自由があるのは良いけど、結局は自己責任になる」
・課題
 ・学習が「楽しい」ことを重視しすぎると、批判的思考や学問的厳密性が失われる可能性がある
 ・社会構造や権力関係に対する批判的視点が欠けると、学習が単なる個人的な興味の追求にとどまる

(3) 批判的・変革的エンゲージメント(Critical Transformative Engagement)
・エンゲージメントを、社会的・政治的文脈に結びつけ、教育を「変革の手段」として位置づける
・生徒が自らの経験を社会的・政治的に問い直し、現状を変える意識を持つことを促す
・教育を、社会的不平等や抑圧に対する「抵抗」として捉える
・批判的思考を促す学びが重要である
・教師の視点
 ・「生徒に『なぜこのルールがあるのか?』『誰が決めたのか?』と考えさせることが重要」
 ・「教育は、単なる学力向上ではなく、社会をより良くするためのもの」
・生徒の視点
 ・「先生に『なんでルールを守らないといけないの?』と聞いたら、ちゃんと考えさせてくれた」
 ・「学ぶことで、自分の環境を変えられるんだと気づいた」
・教育実践の例
 ・「なぜ学校のルールはこうなっているのか?」「誰のためのルールか?」といった批判的問いを立てる
 ・生徒たちは「手を動かして取り組むプロジェクト」を最も楽しい活動として挙げている
 ・教師は、教室の外へも学びを広げ、多様な方法で知識を伝える必要がある(hooks, 2003)

生徒のエンゲージメントを高めるには
・生徒が意見を言える機会を持つ
・学習の進め方を調整する
 ・理解度別にグループを分け、適切な学習機会を提供する
・モチベーションを高める仕組み
 ・生徒ができるだけ多くを学びたいと思えるような学習環境を作る
 ・興味関心を引く活動を取り入れる
・アクティブな学習機会の提供
 ・机に座って聞くだけの授業より、実験や体験型の活動が学習を促進する
・学習環境の整備
 ・大きなテーブルがあり、雑音のない教室が理想的
 ・気の合う友達と一緒に学ぶことで学習が円滑に進む
・教師との関与の仕方
 ・教師が生徒と一緒に学ぶ姿勢を持つことが、エンゲージメントを高める
 ・教師が学ぶことに熱意を持っていると、生徒の学習意欲も高まる

結論
・エンゲージメントは単なる学業達成や行動指標ではなく、生徒の社会的・政治的意識と結びついたものとして再構築されるべきである
・「批判的・変革的エンゲージメント」が、社会正義と学業成果の両立に貢献する可能性がある
・教師は、生徒の主体性を尊重しながらも、社会的課題を意識させる教育実践を取り入れるべきである
・「抵抗(resistance)」は、エンゲージメントの対極ではなく、むしろ積極的な関与の一形態であると考えられる

ここまで。
Student Engagementについて、新しい視点から考察できた論文でした。
個人的にとても共感できたのは、当論文が、生徒のエンゲージメントが単なる「学業達成のための手段」ではなく、「社会変革の力」となり得るという筆者の主張。
「行動面以外でエンゲージメントを定義しようとしたり、学習プロセスの一部として取り組みを研究しようとした試みはほとんどない」と述べられているように、これまでのエンゲージメントの考え方は、(1) 道具主義・合理的技術主義(Instrumentalist or rational technical)の出席率や学業成績に主に焦点が当てられてきたのだと思います。
そして、一歩進んだのが、(2) 社会構成主義・個人主義(Social Constructivist or individualist)。
PBLを研究している自分としては、ここの記述にも共感する部分が多かったのですが、
「学習が「楽しい」ことを重視しすぎると、批判的思考や学問的厳密性が失われる可能性がある」
「社会構造や権力関係に対する批判的視点が欠けると、学習が単なる個人的な興味の追求にとどまる」
という点には特に注意をしなければいけないなと感じました。
「楽しさ」にばかり焦点を当ててしまうと、学びの本質が抜け落ちてしまいますよね。
「生徒の興味関心」は積極的な参加を促しますが、楽しいだけでは「重要な学び」に発展しない。
両者をいかにして統合するかという視点は常に持ち続けたいと思いました。

そして、批判的・変革的エンゲージメント(Critical Transformative Engagement)。
これまでの生徒のエンゲージメントの考え方(参加中心)から、「社会変革の一環」へと昇華・再構築しようとする考え方には強く共感しました。
周りの環境や社会を変えていく必要性を認識し、それが実現できるという信念を持ち、実際のアクションを通して社会変革を実現していく。このようなマインドは一朝一夕には培えないと思うので、学校教育の段階から必要になってくるのだと思います。OECDのエージェントの考え方とも一致していますね。
特に、昨今の時代背景的にも、一人ひとりが社会を創っていく一躍を担っているという考え方は非常に重要になってきているのを感じていたところなので、結構心に響きました。
自分の授業でも、こういう授業をやっていきたいなぁ。

以下、メモ
・多くの研究では、エンゲージメントを単純化し、エンゲージメントと、それと同時に起こると考えられている学業成績の向上を個人の特性の機能として描き出し、ジェンダー、社会文化、民族、経済的地位(階級)の要因の貢献を無視している
・学習参加と肯定的な学業成績との関連を示す研究文献における証拠はかなりある(Fredricks et al., 2003, p. 23)
・OECDのPISA 2000 study「Student engagement at school」(Willms, 2003)では、エンゲージメントは学業成績の予測因子ではないと結論づけている。また、エンゲージメントの低い生徒の割合は国によって、また国内の学校によっても異なるが、その原因は家庭環境や学業成績だけに帰するものではない
・COREの教授法(教師と生徒が以下を行うべき)
 ・つながり(Connecting):生徒の文化的知識とつながり、関与する
 ・所有(Owning):すべての生徒が、作品に表現されている自分自身を認識できる
 ・応答する(Responding):生徒の生活体験に反応し、その体験を積極的に意識的に批評する
 ・力を与える(Empowering):生徒が自分の行動が自分の人生を変えると信じ、自分の真の、そして確かな人生を表現し、発見する機会を与える

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