医学教育で発展した Problem-Based Learning(PBL) を、 工学教育にどの程度適用できるかを理論的・実践的に検討した論文をレビューします。
論文はこちら(被引用数:977件(2025年10月21日時点))
Perrenet, J. C., Bouhuijs, P. A., & Smits, J. G. (2000). The suitability of problem-based learning for engineering education: theory and practice. Teaching in higher education, 5(3), 345-358.
オランダのマーストリヒト大学(Maastricht University) における医学PBLのモデルとアイントホーフェン工科大学(Technische Universiteit Eindhoven) における機械工学・生体医工学でのPBL導入事例を比較分析して、工学教育に対するPBLの適用について考察されています。
各章ごとにざっくりまとめます。
1. Introduction
・近年の高等教育では、「学生中心の学習(student-centered learning)」への転換が進んでいる
・その代表的手法として Problem-Based Learning(PBL) と Project Work が注目されている
・PBLは1969年にカナダのMcMaster大学の医学教育で始まり、世界中に普及した
・工学分野では PBLを部分的に導入する例が多く、全体的戦略としては少ない
→ RQ:PBLは工学分野においても有効な全体的教育戦略となり得るのか?
2. 理論的基盤
・Barrows(1984)に基づき、PBLを「問題に出会う→自己主導学習→共同で統合」という循環的プロセスと定義
・教育の3つの目的を同時に追求する:
①専門的文脈で利用可能な知識の獲得
②自らの知識を拡張・改善する能力の獲得(メタ認知)
③専門的問題解決能力の獲得
・PBLは、認知心理学の知見(学習者は知識を能動的に構築する存在)と整合している。
・「知識構造」「メタ認知」「協働学習」などの理論的根拠を提示
3. マーストリヒト大学のPBLモデル
・医学部におけるPBLは、6週間単位のブロックで構成され、seven-step approachを採用(概念確認→問題定義→分析→学習目標設定→自主学習→報告・統合)
・講義は補助的役割にとどまり、学生主体の探究的学習が中心
・評価・カリキュラム設計もPBL原理に整合するように構築
→ 典型的な「全体的PBL戦略(overall PBL strategy)」の例
4. Project Workとの比較
・マーストリヒト型PBLと対照的に、アールボー大学(Aalborg University)ではProject Workを採用
・両者は「自己主導性」「協働」「実社会との関連」という共通点を持つが、次のように異なる:

→ Project Workは、PBLよりも“実務に近い長期的活動”に適している
5. 工学教育におけるPBLの適合性
・Barrowsの3目標に照らして、PBLが工学にどの程度適するかを検討:
①知識の獲得(acquisition of knowledge)
・工学では誤概念(misconceptions)が多く、正しい概念形成には教師による構造化(guided instruction)が必要
・学習内容の階層構造(数学・物理など)ゆえに、PBLだけでは基礎知識を体系的にカバーしにくい
②知識拡張能力の獲得(metacognition)
・メタ認知は工学教育でも重要
・ただし、学習順序を学生に任せると抜け漏れが生じやすく、指導的要素が不可欠
③専門的問題解決能力(professional problem-solving skills)
・工学の問題解決は設計・実験・実装などを含み、医学PBLのような短周期的問題解決サイクルでは不十分
・より長期的で統合的なプロジェクトワーク(project work)が必要
6. アイントホーフェン工科大学での事例
・機械工学と生体医工学のカリキュラム改革としてPBLを部分的に導入
・午前は講義・演習、午後はDesign-Centred Learning(DCL)と呼ばれるケース学習を実施
・チームで実験・設計・プレゼンを行い、「理論と実践の橋渡し」を目指す
・学生・教員ともに高い満足度を示し、離脱率(dropout)が減少
→ 部分的PBL(partial PBL)として成功例
7. 考察
・アイントホーフェン型PBLは、PBLとProject Workの中間形態
・チューター制・協働学習・課題の現実性を保ちながらも、教師の構造的支援と指導的授業の組み合わせ
・完全なPBLよりも、工学教育の専門的実践と親和性が高い
8. 結論
・PBLは工学教育における全体的戦略としては限界がある
・しかし、部分的戦略としては有効であり、以下の点で特に価値がある
・初期段階(1〜2年次)において学習動機を高める
・理論と実践の橋渡しを促進する
・グループ学習と発見的学習を活性化する
・一方で、 上級段階ではProject Workがより適しており、 数学・物理のような階層的科目には直接的教授(direct instruction)が必要
→結論:PBLは工学教育の「部分的導入」として最も効果的
・理論的示唆 :PBLは認知心理学・構成主義に整合するが、学問分野によって限界がある
・教授設計:工学では「指導的支援 × 自主学習 × プロジェクト志向」のバランス設計が必要
ここまで。
当論文は、 医学系で確立したPBLを、 工学という「知識の階層構造が厳密で応用重視の分野」に移植する際の課題と実践的工夫について考察された内容でした。
個人的に最も大きな学びは、Problem-based leanringとProject Workの違いについての考察。
特に、「PBLは知識獲得の初期段階、Project Workは知識応用の後期段階に有効」 という主張は、他の論文で提案されている、2つのPBLを統合したモデルが有効であることを理論的に強化してくれる内容だと思いました。
また、「PBLは全分野に適応できるのかと」いう問いについても、分野によって注意すべきであることもよくわかりました。具体的には、以下のような点です。
・学習内容が階層構造(数学・物理など)になっているものは、基礎知識の積み上げが必要
→PBLだけでは体系的にカバーしにくい
・短期間で完結できる学習内容はPBLでもOK
→学習が完結するまで時間がかかるものはProject Work(Project-based Learinng)の方が向いている
この他、学習者のメタ認知のレベルに合わせて、学習する順序などのサポートも必要であることも重要な点だと思いました。
学問分野や学習者の発達度合いに合わせて、2つのPBLの良いところをうまく統合して設計・実施できるようになりたいです。もっと探究しないと。
以下メモ
【学習者が誤った考え方から新しい科学的概念へと移行するために必要な心理的・認知的条件】(Posner et al., 1982)
① 不満足感(Dissatisfaction): 今まで信じていた考え方では説明できない現象があることに気づく
② 理解可能性(Intelligibility): 新しい概念が「何を言っているのか分かる」
③ 妥当性(Plausibility): 新しい概念が「もっともらしい(plausible)」と感じられること
④ 優越性(Superiority):新しい概念が、古い考え方よりも多くの現象を説明できる、あるいはよりシンプルで一貫していると感じること
→単に「正しい知識を教えれば理解する」という発想の否定
学習者が持つ誤概念を単に上書きするのではなく、自分の考えの限界に気づき(①)、新しい概念の意味を理解し(②)、それがもっともらしく感じられ(③)、最終的により優れていると判断できる(④)ように導く必要があるということ
論文はこちら(被引用数:977件(2025年10月21日時点))
Perrenet, J. C., Bouhuijs, P. A., & Smits, J. G. (2000). The suitability of problem-based learning for engineering education: theory and practice. Teaching in higher education, 5(3), 345-358.
オランダのマーストリヒト大学(Maastricht University) における医学PBLのモデルとアイントホーフェン工科大学(Technische Universiteit Eindhoven) における機械工学・生体医工学でのPBL導入事例を比較分析して、工学教育に対するPBLの適用について考察されています。
各章ごとにざっくりまとめます。
1. Introduction
・近年の高等教育では、「学生中心の学習(student-centered learning)」への転換が進んでいる
・その代表的手法として Problem-Based Learning(PBL) と Project Work が注目されている
・PBLは1969年にカナダのMcMaster大学の医学教育で始まり、世界中に普及した
・工学分野では PBLを部分的に導入する例が多く、全体的戦略としては少ない
→ RQ:PBLは工学分野においても有効な全体的教育戦略となり得るのか?
2. 理論的基盤
・Barrows(1984)に基づき、PBLを「問題に出会う→自己主導学習→共同で統合」という循環的プロセスと定義
・教育の3つの目的を同時に追求する:
①専門的文脈で利用可能な知識の獲得
②自らの知識を拡張・改善する能力の獲得(メタ認知)
③専門的問題解決能力の獲得
・PBLは、認知心理学の知見(学習者は知識を能動的に構築する存在)と整合している。
・「知識構造」「メタ認知」「協働学習」などの理論的根拠を提示
3. マーストリヒト大学のPBLモデル
・医学部におけるPBLは、6週間単位のブロックで構成され、seven-step approachを採用(概念確認→問題定義→分析→学習目標設定→自主学習→報告・統合)
・講義は補助的役割にとどまり、学生主体の探究的学習が中心
・評価・カリキュラム設計もPBL原理に整合するように構築
→ 典型的な「全体的PBL戦略(overall PBL strategy)」の例
4. Project Workとの比較
・マーストリヒト型PBLと対照的に、アールボー大学(Aalborg University)ではProject Workを採用
・両者は「自己主導性」「協働」「実社会との関連」という共通点を持つが、次のように異なる:

→ Project Workは、PBLよりも“実務に近い長期的活動”に適している
5. 工学教育におけるPBLの適合性
・Barrowsの3目標に照らして、PBLが工学にどの程度適するかを検討:
①知識の獲得(acquisition of knowledge)
・工学では誤概念(misconceptions)が多く、正しい概念形成には教師による構造化(guided instruction)が必要
・学習内容の階層構造(数学・物理など)ゆえに、PBLだけでは基礎知識を体系的にカバーしにくい
②知識拡張能力の獲得(metacognition)
・メタ認知は工学教育でも重要
・ただし、学習順序を学生に任せると抜け漏れが生じやすく、指導的要素が不可欠
③専門的問題解決能力(professional problem-solving skills)
・工学の問題解決は設計・実験・実装などを含み、医学PBLのような短周期的問題解決サイクルでは不十分
・より長期的で統合的なプロジェクトワーク(project work)が必要
6. アイントホーフェン工科大学での事例
・機械工学と生体医工学のカリキュラム改革としてPBLを部分的に導入
・午前は講義・演習、午後はDesign-Centred Learning(DCL)と呼ばれるケース学習を実施
・チームで実験・設計・プレゼンを行い、「理論と実践の橋渡し」を目指す
・学生・教員ともに高い満足度を示し、離脱率(dropout)が減少
→ 部分的PBL(partial PBL)として成功例
7. 考察
・アイントホーフェン型PBLは、PBLとProject Workの中間形態
・チューター制・協働学習・課題の現実性を保ちながらも、教師の構造的支援と指導的授業の組み合わせ
・完全なPBLよりも、工学教育の専門的実践と親和性が高い
8. 結論
・PBLは工学教育における全体的戦略としては限界がある
・しかし、部分的戦略としては有効であり、以下の点で特に価値がある
・初期段階(1〜2年次)において学習動機を高める
・理論と実践の橋渡しを促進する
・グループ学習と発見的学習を活性化する
・一方で、 上級段階ではProject Workがより適しており、 数学・物理のような階層的科目には直接的教授(direct instruction)が必要
→結論:PBLは工学教育の「部分的導入」として最も効果的
・理論的示唆 :PBLは認知心理学・構成主義に整合するが、学問分野によって限界がある
・教授設計:工学では「指導的支援 × 自主学習 × プロジェクト志向」のバランス設計が必要
ここまで。
当論文は、 医学系で確立したPBLを、 工学という「知識の階層構造が厳密で応用重視の分野」に移植する際の課題と実践的工夫について考察された内容でした。
個人的に最も大きな学びは、Problem-based leanringとProject Workの違いについての考察。
特に、「PBLは知識獲得の初期段階、Project Workは知識応用の後期段階に有効」 という主張は、他の論文で提案されている、2つのPBLを統合したモデルが有効であることを理論的に強化してくれる内容だと思いました。
また、「PBLは全分野に適応できるのかと」いう問いについても、分野によって注意すべきであることもよくわかりました。具体的には、以下のような点です。
・学習内容が階層構造(数学・物理など)になっているものは、基礎知識の積み上げが必要
→PBLだけでは体系的にカバーしにくい
・短期間で完結できる学習内容はPBLでもOK
→学習が完結するまで時間がかかるものはProject Work(Project-based Learinng)の方が向いている
この他、学習者のメタ認知のレベルに合わせて、学習する順序などのサポートも必要であることも重要な点だと思いました。
学問分野や学習者の発達度合いに合わせて、2つのPBLの良いところをうまく統合して設計・実施できるようになりたいです。もっと探究しないと。
以下メモ
【学習者が誤った考え方から新しい科学的概念へと移行するために必要な心理的・認知的条件】(Posner et al., 1982)
① 不満足感(Dissatisfaction): 今まで信じていた考え方では説明できない現象があることに気づく
② 理解可能性(Intelligibility): 新しい概念が「何を言っているのか分かる」
③ 妥当性(Plausibility): 新しい概念が「もっともらしい(plausible)」と感じられること
④ 優越性(Superiority):新しい概念が、古い考え方よりも多くの現象を説明できる、あるいはよりシンプルで一貫していると感じること
→単に「正しい知識を教えれば理解する」という発想の否定
学習者が持つ誤概念を単に上書きするのではなく、自分の考えの限界に気づき(①)、新しい概念の意味を理解し(②)、それがもっともらしく感じられ(③)、最終的により優れていると判断できる(④)ように導く必要があるということ
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